歴史

1.東大応援部誕生

昭和21年春、戦時中に中断されていた、東京六大学野球が戻ってきた。このシーズン、シーズン前の最下位という大方の予想を裏切り、東大は破竹の快進撃を見せ、慶應と優勝をかけて最終戦を戦った。迎えた6月13日、後楽園での天王山、慶應との死闘の末、東大は0-1の惜敗を喫し、準優勝で戦後初のリーグ戦の幕を閉じた。これに感動した野球部OBが、白地にライトブルーで“TIU"(Tokyo Imperial University)と染め抜いた旗布を野球部に寄贈した。当時の野球部マネージャーは、後に応援部初代主将になる中澤幸夫にその旗を委託、とにかく有志を集め神宮球場に東大の旗を掲げようではないかという話になった。そして、旗と人はそろった。だが、旗竿と竿頭がない。買う余裕もなく、物干し竿と陸上部の槍投げの槍で代用した。こうして、ついに最初の旗が生まれたのであった。

昭和21年秋の開会式において初お目見えとなった。選手の行進とともに東大の旗が神宮球場に登場すると、スタンドを埋め尽くす満員の大観衆から「ウオ―」という歓声がこだました。大正14年に六大学野球リーグが誕生して以来、開会式は五校の旗だけで行なわれてきたが、21年目にして初めて六大学の応援旗が勢揃いした瞬間だった。その後も、応援に駆けつける。それまで試合後のエール交換において、他の五大学がエールを交換するにもかかわらず、応援部のなかった東大だけは、エールを受けるのみで返すことができなかった。しかし、中澤は応援席をまとめ、初めてエールを返したのであった。そのころから、「東大に応援団生まれる!」などと新聞で報じられるようになる。

秋リーグも終わる頃、中澤は加藤学生課長とともに安田講堂奥にある総長室に呼びだされた。当時の南原繁総長は中澤に対し、「この荒廃した大学を何とか再建したい。それにはスポーツの振興が第一だと思う。ついては君たちにその推進力になってもらいたい」と熱く激励のお言葉をかけ、その場ですぐに応援部設立が決定した。その後も南原総長は中澤を何度となくお呼びになっては、ご自身の応援部に対する考えを語られた。さらに総長は「終戦により荒廃した学園に新しい息吹を吹き込もう」と校歌制定をご提案になり、結局内外に「学歌」を広く募集する運びとなった。

そして昭和22年の五月祭をむかえる。

午後1時、25番教室で新学生歌の発表と応援部設立の報告会が始まった。大学で一番大きい教室の座席は、総長、各学部長を筆頭に教授と学生で埋まり、後ろに立つ学生もぎっしりとなった。南原繁総長が壇上に立った。

「学生諸君、敗戦のどん底の中に、私たちは再び美しい五月祭を迎えることができ、喜びにたえない。今回学生諸君の要望ならびに関係方面のご理解と協力を願って学生歌が作られたことも喜ばしい。祖国再建の重責を担う学生諸君にこれを機会に、私は次の二つのことをお願いする。第一は、大学は最高の学問の府であり真理探究の使命を持つが、同時に高い知性に裏付けられた芸術の香り高い大学にしていただきたい。プラトンはかの理想国家論の中で、芸術と体育に重要な意義を認めている。音楽を音楽部の独占物にせず、広く学生諸君の中に明るい歌声を満ちさせてほしい。同時に伝統芸術の美しさにもふれていくのが望ましい。第2は、健全なスポーツを盛んにすることである。選手だけのスポーツでなく全学生のスポーツにしたい。このことは就任以来の理想としているが、本学に初めて生まれた応援部にその推進力としての役割を期待する」

続いて学生歌の発表に移った。学歌は該当作なしということになり、学生歌「暁の野辺に立ちいて」「青年の」が入選した。音楽部員により発表された後、中澤主将が壇上に上がった。25番教室満員の学生・教授から万雷の拍手が飛ぶ。中澤の頬は紅潮した。

「学生諸君。わが野球部は昨年春のリーグ戦で堂々準優勝をした。野球部の奮闘で球場には毎回多数の本学学生や教職員が応援に駆けつけた。しかし、開闢以来、本学には応援団がない。相手校がエールを送ってくるがわれわれは座って聞くだけだった。しかもめいめいが大声を張り上げ辛辣な野次を飛ばす。我々はこれを黙ってみていることができなかった。昨年秋のシーズンから何人かの有志が学生諸君の熱意にこたえ、自発的にダッグアウトに上るようになった。シーズンが終わり南原総長から、応援部を設立しスポーツ振興の推進力になるよう御指示があった。そして本日ただいまから我々は運動会の応援部として発足する。学生諸君の絶大な御支持を仰ぎたい。かつて、フランスの占領下、ベルリン大学初代総長のフィヒテは『ドイツ国民に告ぐ』のなかで、利己心にとらわれた人間から、全体のことを考える国民的自覚を、生命の危険を賭して訴えた。今我々もこの情熱に呼応し、祖国および大学全体に対する生き生きとした愛を目指して活動したいと思う」と中澤が一気に演説すると、またまた万雷の拍手が鳴り止まなかった。

最後に新・学生歌「暁の野辺に立ちいて」を中澤のリードのもと出席者全員で声高らかに合唱した。こうして、東京大学運動会応援部が正式に発足したのであった。